2016/10/10

終わりなき悲劇..トルコのクーデター未遂、軍・司法関係者6000人拘束 死者290人超に

 

トルコは今年に入り、テロ攻撃の被害が相次いでいます。

記憶に新しい事件としては
・6月トルコ最大都市イスタンブールの中心部で7日朝、警察車両を狙った爆弾テロが起き、地元当局によると、警官7人を含む11人が死亡、
36人が負傷
・6月にはイスタンブールの空港で自爆テロ、36人死亡 147人負傷
・3月にアンカラで起きた車爆弾テロでは少なくとも35人の市民が死亡
・1月には、過激派組織「イスラム国」(IS)によるとみられる自爆テロで、ドイツ人観光客12人が死亡
クルド人の武装組織や過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」によるもので、首都のアンカラや観光客の多いイスタンブールが狙われてきました。

こうしたテロが頻発しているトルコで先日の2016年7月15日にクーデターが起こりました。

今回は、親日国のトルコで発生したクーデターについて記事を書きました。

トルコのクーデター未遂、軍・司法関係者6000人拘束 死者290人超に

e1b5295dd108aa21227321d5eedf2684_m

15日、軍の一部が首都アンカラや最大都市イスタンブールにおいて、ヘリコプターや戦車を展開しクーデターを試みましたが、およそ12時間後に政権側に鎮圧されて未遂に終わりました。

このクーデターで市民や警察官など161人が死亡したほか、トルコ軍は、反乱勢力の兵士104人を殺害したとしています。

捜査に関連して、トルコのボズダー法相は17日、これまでにおよそ6000人を拘束して調べていることを明らかにしました。

クーデターを主導したとされる前の空軍司令官のほか、陸軍のシリア国境を管轄する第2軍司令官や東部地域を管轄する第3軍司令官なども含まれており、捜査当局は、軍の幹部クラスの追及も進めています。

また、裁判官や検察官2700人余りも職務を解いて拘束を進めていて、反政権派の一掃を図る動きを強めています。

イラククーデター発生の背景

efc667778b0bf71993bd1e2d23bca7a0_m

従来、トルコ軍は、イスラム教の政治介入を認めない「世俗主義」の原則を支持してきました。

トルコは、国民の圧倒的多数がイスラム教徒です。

しかし、公務員の女性が職場で、イスラム教の教えに基づいてスカーフをかぶることを原則禁止する等、政治から宗教の影響を排除し、徹底した世俗主義を国の方針に掲げていました。

しかし、2003年以降、エルドアン政権は政教分離という建国以来守られてきた国の原則を覆し、イスラム色の強い政策を推し進めてきました。

その為、世俗主義を支持してきた軍の権限を縮小する憲法改正を行う等の改革を進めてきました。

世俗主義を支持する軍は、あくまで政教分離を主張しこれまでにもたびたび政治介入を念頭にクーデターを起こすなど、衝突が続いてきました。

トルコにおける2度のクーデタ-

トルコでは、これまでに2度、軍によるクーデターが起きています。

1度目は、1960年5月27日に発生:当時の政権が独裁化を強めていたことに反発した軍が政権幹部を拘束して、クーデターを起こしました。

翌年には、司法権の独立などを取り決めた新憲法が制定されたことに加え、政権が独裁化した反省から、2院制を採用したあと、民政移管をし総選挙を行っているなど健全化が図られています。

2度目のクーデターは、1980年9月12日に発生:少数政党が乱立し、政局的に不安定な状況が続いてました。

また高いインフレ率により経済が混乱し、社会の不安定さが増加するなか、軍のトップが主導してクーデターを起こし、全権を掌握しました。

そして、政治を安定させるために大統領の権限を強化すること等を盛り込んだ新憲法を定めました。

クーデターから3年後には、制限を加えながらも政党の活動を認めました。

トルコ政治情勢に詳しい専門家によりますと、クーデターによって一定の目的を達成した後は、政治中枢とは距離を置くのがトルコ軍によるクーデターの特徴だと言われています。

エルドアン政権は国民の数多くの支持を背景に、自身への求心力を更に高めるために締め付けを強化してきました。

2期目に入った2008年、世俗主義を掲げる有力者など86人、クーデターを強行するためにテロ組織を結成し、国の秩序を乱した罪で多数を起訴したほか、2010年には、クーデターを企てていたとして軍の関係者を大量に拘束しました。

2012年には、爆弾テロ等によるクーデターを計画したとして、軍の関係者330人に対して、最高禁錮20年の有罪判決を言い渡しました。

さらに、2013年にはクーデターの強行を計画したとして軍トップの元参謀総長らに終身刑の判決を言い渡すなど、エルドアン政権は軍の押さえ込みを図り、緊張関係が続いていました。

今回のクーデターはこうした群への締め付けに対する、エルドアン政権への不満が背景にあると考えられます。

軍の一部がクーデターを試みる動きを見せたことについて、トルコ情勢に詳しいJETROアジア経済研究所の今井宏平研究員は、「軍の上層部はエルドアン大統領や与党AKP=公正発展党と良好な関係にある。軍の上層部が今回の行動をあおったということはないはずだ」と述べ、軍全体の動きではないと分析しました。

そのうえで、エルドアン政権と対立するイスラム教の宗教指導者、ギュレン師を支持するグループ、『ギュレン教団』が関わっているという話が出ているとして、『ギュレン教団』に対する取り締まりはかなり行われていたので、不満がたまっていたのではないかと指摘しています。

ギュレン教団

ところで、ギュレン教団とはどのような団体でしょうか?

ギュレン教団は、40年ほど前にトルコ西部のイズミールでその母体となるグループが設立され、学習塾や高校で質の高い英語教育などを提供することで、高度な教育を求めるさまざまな層に浸透してきました。

支持者は、人口7800万人のトルコで650万人に上るという推計もあるほど浸透しています。

「ギュレン教団」は、トルコの国是である世俗主義を認めながらもイスラム教の価値観を重んじる主張を展開し、トルコの政財界に大きな影響力を持ってきました。

指導者のギュレン師は、現在病気療養のため、アメリカ東部ペンシルベニア州に滞在しながらインターネットなどを通じてトルコ国内外の支持者に向けてメッセージを発信しており、こうした支持者達の活動は「ギュレン運動」と呼ばれてきました。

イスラム的な価値観を重んじる政策を推し進めてきたエルドアン大統領とは、長年、協力関係にあったものの、3年前、トルコで反政府デモが起きた際、ギュレン師がエルドアン氏の対応は強硬的だと批判したことで対立が表面化します。

その後、2013年12月、エルドアン政権を巻き込んだ汚職疑惑が発覚した際、エルドアン氏は汚職の捜査の背景にギュレン師がいるとして名指しで批判をするなど対立が激化しました。

警察の一部がギュレン教団の影響下にあるとして、捜査を担当した警察官らを大勢更迭するなど対決姿勢を強めてきました。

また、トルコの検察が、ギュレン師がテロ活動に関わった疑いがあるとして、一昨年の12月、逮捕状を取ったほか、今年に入って、トルコ政府は「ギュレン教団」を正式にテロ組織に指定しました。

ことし3月には、トルコの裁判所がギュレン教団を支援している疑いがあるとしてトルコ最大の新聞社「ザマン」を政府の管理下に置く決定を出すなど、ギュレン教団側に対する締めつけを強化していました。

対抗する勢力に厳しい取り締まりを続け、大統領権限の強化を進めてきたエルドアン政権への不満が背景にあると考えられています。

エルドアン政権の近年の独裁化、強権化を嫌う国民も多く、反乱軍側はそうした人たちの支持を期待したのだろうが、直前の政権支持率は約5割にも達しており、貧困層には特に手厚い政策をとっておりこと等で、エルドアン政権政権に対する支持は盤石です。

ただ、今回の反乱で軍が一枚岩ではないことが露呈し、過激派組織「イスラム国」(IS)などに弱みを見せる形にることで、トルコ自身が不安定化すれば中東情勢に与える影響は大きく、難民問題に直面する欧州への影響も避けられないだろうと言われています。

総人口の約10%弱を占める影響力の強いギュレン師が最近のNHKの取材に応じた内容がありますので紹介します(atペンシルバニア米国)。

取材の中でギュレン師は関与を改めて強く否定したうえで、「私はトルコで大統領にふさわしい人を何人も見てきたが、エルドアン大統領はそうではない。

私は彼のように品のないことはしたくない」などと述べて、エルドアン大統領がこれを機に政権に反発する勢力を強権的に一掃しようとしていると批判しました。

また、エルドアン政権が自分の身柄の引き渡しをアメリカ側に求めていることについては、「アメリカ政府がトルコ政府の言うことを信じるとは思わない」と述べ、エルドアン政権の主張は事実無根だとの考えを改めて示しました。

またギュレン師のものとする声明の中で、「トルコのクーデターの企てを最も強い言葉で非難する。政府は、軍事力によってではなく、自由で公正な選挙によって樹立されなければならない」とクーデターの企てを批判しました。

そのうえで、「この50年の間、複数回にわたった軍のクーデターに苦しんできた者として、そうした企てに関与したとされることは著しい侮辱であり、私はそうした非難については断固として否定する」として、クーデターの企てへの関与を否定しました。

イラククーデター失敗の原因について

7733e5a252b5c8ca92da480e19933068_m

「軍事クーデター成功のためのルール」には次の重要な2つのルールが存在します。

第1の成功ルールである「まず最初に政府のトップを奪取(もしくは少なくとも殺害)すること」ですが、これを実現できなかったのです。

第2の成功ルールである「実行に参加しない機動部隊は、動員不可能の状態にしておくか、介入するには遠方に配置しておくべきである」であります。

今回のトルコのクーデター計画者たちは、実行に参加しない(戦車、ヘリ、そして戦闘機)部隊を活動不能にしておくことができなかったことも失敗の原因となっています。

また,以前トルコで起こった2回の成功したクーデターのスタイルから何も変わっていない、ある種の進化していない方法を実行したことも失敗原因にあげられます。

それは放送局を占拠することは当然としても、SNSに対する有効な手段を考慮していないことが指摘されます。

トルコクーデターにおいてSNSの果たした役割

154e4b969ceb15bb3c2362db2e02c9a4_m

エルドアン大統領は2014年の首相在任中、自身の汚職疑惑のツイート拡散を阻止しようとTwitter撲滅を宣言した過去があります。

しかし今回のクーデター鎮圧に際してはTwitterや米Appleのビデオ通話ツールFaceTimeを駆使して国民に呼び掛けたことが奏功したわけです。

クーデター発生時、休暇でトルコ南西部マルマラスに滞在していたエルドアン大統領は専用ジェット機で避難し、機上から米CNNのトルコ支局のキャスターへのFaceTimeによるビデオ通話を通じて国民に「街頭や広場に出て反乱軍を阻止せよ」と呼び掛けました。

そしてクーデターが始まってから支持者たちに向かって軍事クーデターに抵抗することを呼びかけており、最初はiPhoneを使いながら、そして次にイスタンブール空港での会見をテレビ中継によって行っています。

更に同氏はTwitterでも逐次国民を鼓舞しました。

大統領の呼び掛けに呼応し、複数のモスクが「これはジハード(聖戦)だ。神のために街頭に出よ」と放送したのも効果を発揮しました。

当然、反乱軍はTwitter、Facebook、YouTubeを遮断しようとしますが失敗しています。

CNNのスタジオも制圧しようとしたが、皮肉にもその様子も放映され、反乱軍が現政権に逮捕される瞬間がTwitterで配信されてしまいました。

このようにSNSのもつ拡散力は大きな影響力を持つことが今回の事件でも広く印象づけられたことになります。

それにしても、かつてTwitterを敵視していたエルドアン大統領ですが、現在はTwitter、Facebook、Instagram、YouTubeなどの公式アカウントを持ち、最大限に活用しているのは皮肉なことです。

各国の反応

a5526d147491da46d43e2953f052b4cf_m

それでは今回のクーデターに対する各国の反応を見てみましょう。

ケリー米国務長官は、クーデターに関する調査を行う際に法の支配が尊重されるべきだとトルコのチャブシオール外相に伝えました。

またケリー長官は、米国は反乱に関与した人物の特定に協力するとした上で、トルコ政府はギュレン師が関与したとの証拠を示すべきだと述べました。

これは、現在ペンシルベニア州で療養中のギュレン師を今回のクーデター首謀者の一員として身柄引き渡しの要求が来ることを見越して釘を刺したものでしょう。

そして米国務省は、ケリー長官が「クーデターの試みに米国が関与したとの示唆や主張は完全な誤りで、両国関係に悪影響を与える」と述べたと発表しました。

一方欧州では、トルコ当局が反乱勢力の排除を進めるとの見方が高まる中、トルコに対し法の支配を尊重するよう求める声が広がっています。

エロー仏外相は「エルドアン大統領に自由裁量権を与えるものではない。法の支配が機能しなければならない」と訴えました。

欧州委員会のエッティンガー委員(デジタル経済・社会担当)も、エルドアン大統領がクーデター未遂を利用し、民主的権利を一段と制限すれば、トルコは欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)が示す本質的価値から遠ざかると警告しました。

独紙ウェルト日曜版は、「エルドアン大統領は国内での立場を強化するだろうが、国際的に孤立することになる」と掲載しています。

歴史が示すまでもなく、ヒットラーも多くの国民の支持を集め選挙により選ばれ、そして強大な権力を手にし独裁を強めていった結果の悲劇です。

今後、エルドリアン大統領が手にした権力を更に強めていく現状において、一歩引いて広く良識のある政治家、民衆の意見を聞き政策を遂行していくことが出来るかが鍵となります。

最近あれだけこじれていたロシアに双方が歩み寄るなど、将来を見越した良識ある判断が出来るので期待したいところです。

日本とトルコの関係

6f39f6ca897b90cbe6848ea226870f67_m

1887年、小松宮彰仁親王がヨーロッパ訪問の途中でイスタンブルに立ち寄りました。

それに応える形で1890年、オスマン帝国スルタンであったアブデュル・ハミト2世の使節としてフリゲート艦「エルトゥールル」が日本へ派遣されました。

使節は明治天皇へ親書などを手渡し帰国の途についたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没、特使オスマン・パシャを含め500名以上の乗組員が死亡してしまいました。

しかし紀伊大島の住民が救援に駆けつけ69名を救出、報せを聞いた明治天皇は直ちに医師と看護婦を派遣、救援に全力をあげたのです。

さらに生存者には日本全国から多くの義捐金・弔慰金が寄せられ、1891年、生存者は日本海軍の装甲コルベット「金剛」、「比叡」の2艦によりオスマン帝国に丁重に送還されました。

1892年には日本各地で講演を行い義捐金を集めた山田宗有がトルコに渡り、アブデュル・ハミト2世に謁見しており、この事件はトルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時より醸成されたのです。

またイラン・イラク戦争 奇跡の救出劇として記憶にある方も多いと思います。

1985年3月17日、イラン・イラク戦争のさなか、サダム・フセイン元イラク大統領は、「48時間後、イラン上空を飛ぶすべての航空機を撃墜する」と突如宣言しました。

当時、日本の航空会社にはイランへの路線がなく、安全も保証されないため、政府は救援機を出すことをためらっていました。

他の国の航空会社は、自国民を優先するため、在留邦人は取り残されていったのです。

しかし、タイムリミット直前に、ついに救援機がやってきました。

しかしそれは、日本の航空機ではなく、トルコ航空でした。

215名の日本人を乗せ、危機一髪のところでイランを脱出出来たのです。

でも、なぜトルコの航空機が日本人を救ってくれたのでしょう?

元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏が、次のように語っています。

「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それでテヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空が飛んだのです」

95年後のトルコの恩返しでした。

こうした関係によりトルコは大の親日家が多くいます。

私としても、トルコの今後の道筋を見守りたいと思います。

まとめ

エルトゥールル号救出劇、そしてイラン・イラク戦争 奇跡の救出劇を経て築き上げられた双方の信頼により日本はトルコと良好な関係を築きあげてきました。

トルコで多発するテロ事件により、多数の一般人が命を落としているニュースに触れるたびに、心を痛めます。

今回はテロではありませんが、宗教問題を内包し、複雑な事情が絡んで起きたクーデターです。

一概に、その善し悪しを論じることは出来ません。

しかし、急速に経済発展がなされている国では特に、独裁権力を手中にした指導者はその権力が強大になればなるほど、最初の志をないがしろにして最終的には破滅を迎えることを歴史が証明しています。

トルコにはそうなってほしく思わないとの素朴な思いで今回記事にしました。

 

 

 

 

 

 

  関連記事 - Related Posts -

 

  最新記事 - New Posts -

 

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です