私は、「ジャズには興味があるのだが、どこから入ったら良いのか?、どのCDを聞いたら良いのか?」などjazzへの入口が分からない人に、本当のジャズの魅力を感じてもらいたい思いで本記事を書いております。
今まで、聴いていただきたい曲として、ビル・エヴァンスを紹介してきました。
今回は、私がこよなく愛するジャズピアニスト ビル・エヴァンスに焦点を絞って、ジャズの魅力について記事を書きました。
ビル・エヴァンスという名前は聞いたことがあり、素晴らしいジャズピアニストであることをご存知の方は多いと思います。
しかし、ある程度詳しい略歴について、ぜひ知っておいていただきたいと思いますので、以下に簡単にまとめておきます。
ビル・エヴァンス:略歴

1929年
1929年8月16日、ニユージャージー州プレインフィールド生まれ。父はウエールズ人、母はロシア系アメリカ人。音楽に理解のある両親は、6歳のエヴァンスにピアノのレッスンをさせる。
13歳で兄のバンドに加わる。ニューオリンズのサウスイースタン・ルイジアナ・カレッジ時代にレツド・ミツチェル、マンデル・ロウと知り合う。
卒業後プロとしてハービー・フィールズのセプテット(7重奏)に加入。
1951-1954年
51~54年、兵役についたが3年間にわたる兵役経験はエヴァンスに不幸でつらい思い出しか残さなかった。
その為、54年の陸軍解任後約1年間にわたってピアノを通して自己を見つめなおす。
その為、54年の陸軍解任後約1年間にわたってピアノを通して自己を見つめなおす。
しばらくしてジェリー・ウォルド楽団に加入。初レコーディングを体験。
1956年
56年ジョージ・ラッセルラやトニー・スコットのバンドで名を広めたエヴァンスは、ロウの支援でリバーサイドのオリン・キープニューズのプロデュースで初リーダー・アルバム「New Jazz Conceptions」を録音。
1958年
58年にはマイルス・デイビスのグループに参加。
1959年
59年に『Kind of blue』でモード奏法を開花。
【一口メモ】:モード奏法とは
1950年代後半以降、従来の和声(コード)に基づく即興演奏をより自由に発展させるために多くのジャズ奏者が試みたジャズの即興演奏方法。
1950年代後半以降、従来の和声(コード)に基づく即興演奏をより自由に発展させるために多くのジャズ奏者が試みたジャズの即興演奏方法。
59年にススコット・ラファロ、ポール・モチアンとジャズ史上に残るピアノ・トリオを結成。
リバーサイド4部作(1959~1961)「PORTRAIT IN JAZZ」「EXPLORATIONS」「WALTZ FOR DEBBY」「SUNDAY AT THE VILLAGE VANGUARD」をリリースした。
後のトリオのあり方に大きく影響を与える。
1961年
61年7月ラファロ死亡
1962年
62年ヴァーヴ初録音『Empathy』
1971年
71年CBS初録音『The Bill Evans Album』
1974年
74年ファンタジー初録音『Since we met』
1978年
78年ワーナー初録音『未知との対話』
73年、74年、76年、78年と4回来日を果たす
73年、74年、76年、78年と4回来日を果たす
1980年
1980年9月10日ファット・チューズデイでの演奏を最後に、5日後の15日ニューヨークのマウント・サイナイ病院にて死亡。
享年51歳。死因は肝硬変、気管支肺炎、出血性潰瘍といわれている。
葬儀は19日、シティコープ内セン卜・ピータース教会にて行なわれた。
この記事内で書かれている様々な作品・出来事が発生した時代を上述した略歴年代で確認して、全体の中での時代を確認していただければ幸いです。
では、さっそく始めましょう。
リバーサイド4部作

まず、1959年にスコット・ラファロという理想的な音楽上のパートナーを得て、恐ろしいほどに緊張感にあふれ、それでいてこの上なく無垢な憧れと明るさをたたえた創造されたリバーサイド4部作について書きます。
『ポートレイト・イン・ジャズ』
収録曲
- 降っても晴れても – Come Rain Or Come Shine
- 枯葉 – Autumn Leaves(テイク1:ステレオ)
- 枯葉(テイク2:モノラル)
- ウィッチクラフト – Witchcraft
- ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ – When I Fall In Love
- ペリズ・スコープ – Peri’s Scope
- 恋とは何でしょう – What Is This Thing Called Love?
- スプリング・イズ・ヒア – Spring Is Here
- いつか王子様が – Some Day My Prince Will Come
- ブルー・イン・グリーン – Blue In Green(テイク3)
- ブルー・イン・グリーン(テイク2)
演奏者
ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)
録音:1959年12月28日
『ポートレイト・イン・ジャズ』(Portrait in Jazz)は、1959年にリリースされたビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)からなるビル・エヴァンス・トリオのスタジオ・アルバムで、『ワルツ・フォー・デビイ』と双璧を成す彼の代表作です。
エヴァンスはジャズ史上屈指の傑作『ポートレイト・イン・ジャズ』で、新しいモードジャズを実践するためのコンボを作ることになりました。
ここで彼らが提示した表現は「主役であるピアノと、それを堅実に支えるベース、ドラムス」という従来のピアノ・トリオ・サウンドとは全く違ったく異質なもので、それらは「インタープレイ」と「演奏スタイル」に表れます。
インタープレイ
エヴァンスの大きな特徴に一つは、ピアノトリオという演奏形態を「中心となるピアノ、伴奏をするベースとドラムス」という従来のパターンから解き放ったことです。
スコット・ラファロは、ベースがリズムと和声の土台を作る従来の役割にとどまらず、メロディックなラインでピアノに自由奔放に絡んでいく革新的な奏法を編み出したのです。
きわめて類似した感性を有する3者が対等な立場で自己主張するピアノとベース、そして単にリズムを刻むのではなく大きな「うねり」を作り出すドラムス、しかも互いの出す音に間断なく反応しつつフレキシブルに交わされ編み出された音楽は、この時代において異彩を放っています。
こうしたやり取りを「インタープレイ」と呼びます。
演奏スタイル
演奏スタイルでは、バド・パウエルに代表されるビバップ派のピアニストたちが、あまり気を使っていなかった左手のハーモニーについて、エヴァンスは複雑な構造を持つ和音の中で、最も効果的な3音か4音を選び、音を重ねる順番にも細心の注意を払っていたのです。
さらに左手で押さえる複数の音の中で、音の大小にまでも気を配るという繊細さでピアノを操っていたのです。
【一口メモ】:ビバップとは
最初に決まったテーマ部分を演奏した後、コード進行に沿った形でありながらも、自由な即興演奏(アドリブ)を順番に行う形式が主となる。基本的には、コード構成音や音階に忠実にアドリブ演奏しながらも、テーマのメロディーの原型をとどめないくらいデフォルメされた演奏となっていった。そのため、劇的で上下に音がとび、鋭い演奏が多い反面、長いアドリブのために、アドリブ自体が主体になってしまい、原曲からかけ離れたり、複雑化し、ライブごとにできが大きく異なるといった現象も起こった。(by ウイキペディア)
最初に決まったテーマ部分を演奏した後、コード進行に沿った形でありながらも、自由な即興演奏(アドリブ)を順番に行う形式が主となる。基本的には、コード構成音や音階に忠実にアドリブ演奏しながらも、テーマのメロディーの原型をとどめないくらいデフォルメされた演奏となっていった。そのため、劇的で上下に音がとび、鋭い演奏が多い反面、長いアドリブのために、アドリブ自体が主体になってしまい、原曲からかけ離れたり、複雑化し、ライブごとにできが大きく異なるといった現象も起こった。(by ウイキペディア)
ミディアム以上のテンポでも左手のハーモニーが積極的に演奏されるようになり、アドリブでは、右手のフレーズと左手のコードによるブロック・コードのような双方が頻繁に出るようになったのです。
【一口メモ】:ブロック・コードとは
ピアニストのソロを聞いているとソロの終わりの方で良くコードだけでアドリブのラインを作ってるのを聞きますが、盛り上がるし、カッコいいんなあと思ったりしませんか。またピアノトリオなどはテーマでやはりメロディーラインのハーモニーをつけてこれまたピアノトリオの醍醐味を感じさせます。このようなプレーをブロックコードと言います。
ピアニストのソロを聞いているとソロの終わりの方で良くコードだけでアドリブのラインを作ってるのを聞きますが、盛り上がるし、カッコいいんなあと思ったりしませんか。またピアノトリオなどはテーマでやはりメロディーラインのハーモニーをつけてこれまたピアノトリオの醍醐味を感じさせます。このようなプレーをブロックコードと言います。
「枯葉」
具体的に、本作品で収録されている「枯葉」で確認してみましょう。
ラストコーラスでクライマックスを醸し出す部分がそれです。
46秒から2分2秒までのビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)のインタープレイを味わってください。
従来の演奏スタイルとは全く異なっている点に気づかれると思います。
お互いに触発し合いながら、素晴らしいインプロビゼーション(アドリブ)・ソロが生み出されています。
ラファロという天才ベーシストがこれまでにないレベルでメロディを演奏、そしてドラムスも加わって自由奔放なインタープレイを繰り広げるようになったのです。
ぞくぞくしませんか。
この演奏は、まさにエヴァンス自身が自分のソロの世界をついにトリオで実現したといえるのではないでしょうか。
本作品の7曲目に収録されている「恋とは何でしょう – What Is This Thing Called Love?」でもこの3者が躍動する様を思う存分味わうことができます。
ベース・ソロ(2分49秒~3分21秒)の後半では、ピアノとドラムスが束になってベースに挑みかかるようなリフが聴かれますが、まさにラファロのベースが従来の「縁の下の力持ち」的な立場から、「大黒柱」的な地位へと躍進を遂げたことを表すような場面です。
【一口メモ】:リフ(riff)とは
繰り返されるコード進行、音型、リフレイン、または旋律の音型であり、主にリズムセクションの楽器によって演奏され、楽曲の基礎や伴奏として成立するものを指す(特にジャズで顕著である)。
繰り返されるコード進行、音型、リフレイン、または旋律の音型であり、主にリズムセクションの楽器によって演奏され、楽曲の基礎や伴奏として成立するものを指す(特にジャズで顕著である)。
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『EXPLORATIONS』
収録曲
- イスラエル
- 魅せられし心
- ビューティフル・ラヴ
- エルザ
- ナーディス
- ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン
- アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー
- スウィート・アンド・ラヴリー
- ビューティフル・ラヴ(別テイク)*
- ザ・ボーイ・ネクスト・ドア*
*ボーナス・トラック
演奏者
ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)
録音:1961年2月2日
『ポートレイト・イン・ジャズ』と同様、最高のメンバーによるもう1枚のスタジオ録音です。
前作のポートレイト・イン・ジャズよりも落ち着いて静かな印象です。当初このレコーディングにはただならぬ雰囲気が漂っていました。
それはラファロとエヴァンスの間には感情的な行き違いがあり、おまけにラファロは愛用のベースを修理に出していた為に慣れない代用のベースでレコーディングに臨まねばなりませんでした。
しかし結果的に、この時のセッションからも素晴らしい名演が生まれたのです。
この作品は非常に美しいものになり、エヴァンス本人もお気に入りの1枚となったのです。
「エルザ」
特に白眉な演奏は「エルザ」です。
聴きどころは、テーマと呼ばれる最初のコーラスで、ラファロはワルツの3拍目と1拍目だけに音を置くことで、エヴァンスのピアノと微妙な距離感を創り出し何とも言えない空間を演出しています。
そのあとピアノソロに入っても、ラファロはビートがずれて感じられるような位置に音を置き、エヴァンスとの危ういともいえる空間を生み出しています。
「ナルディス」
そして「ナルディス」です。
ここでは、先の「エルザ」とは2人の立場が逆転しているようです。つまり、エヴァンスがピアノの音域の1/3をベースのために明け渡しているのです。ベースと音がぶつからないように配慮した結果、豊かな空間をたっぷりと醸し出すことができたのです。
ニールス・ペデルセンがオスカー・ピーターソンと共演する際に、自分の鳴らすベースの音が、ピーターソンの左手が奏でる音とぶつからないように、自分の鍵盤を目でも確認できるように気を使っていたのと対照的です。
この作品の「落ち着いた、静かな雰囲気」を生み出したのが、豊かな空間と、音の奥行きが増している2人のインタープレイなのです。
こうした独特なたっぷりとした空間は、他の曲「イスラエル」などでも醸し出されています。
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『SUNDAY AT THE VILLAGE VANGUARD』

収録曲
- Gloria’s Step(テイク2)
- マイ・マンズ・ゴーン・ナウ
- ソーラー
- 不思議な国のアリス
- オール・オブ・ユー
- Jade Visions(テイク2)
- Gloria’s Step(テイク3)*
- 不思議な国のアリス(テイク1)*
- オール・オブ・ユー(テイク3)*
- Jade Visions(テイク1)*
演奏者
ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)
録音:1961年6月25日
1961年6月、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードではビル・エヴァンス率いる黄金のトリオが、驚くべき集中力で見事なパフォーマンスを披露した伝説のヴァンガード・ライブです。
昼2回、夜3回に分けての公演はそのどれもが抜群の「間」と「呼吸」に満ち溢れており、クラシック音楽に限らず世の音楽ファンにはぜひとも繰り返し耳にしていただきたい記録です(それにしてもこの日の幸運な聴衆は一体何人くらいなのだろう?拍手や演奏中のおしゃべりの様子から想像するに多くても多くても30人ほどか・・・)。
クラブでのライブ録音故、グラスのぶつかる音、聴衆のささやきなど、その臨場感までをも追体験できる素晴らしさを感じます。
特に、後日発売されたコンプリート盤は、機器の不調による欠落部分があるものの、実に完璧な出来で、特に音量を相当上げて聴くと、当日その場に居合わせているかのような錯覚に陥るほど。
これは、ラファロの指が弦に当たり、弦が指版に当たる音まで伝えているライブ録音です。
Gloria’s Step(テイク2)
ラファロがまさに自分の能力を存分に発揮するために書いたような作品で、3分から約2分続くベースソロは圧巻です。
いかがですか!まるでギターを弾くようなラファロの類いまれな才能を十分味わってください。
楽曲としてのGloria’s Stepは最初の2小節で明るく微笑んだかと思うと、次の2小節では1転して憂いのある表情を見せるなど、複雑な感情を織り交ぜた奥行きのある空間を演出しています。
Jade Visions(テイク2)
これもラファロの作曲したベースによるコード奏法を発展させたオリジナル曲で、実にゆったりと、たっぷりとした空間をエヴァンスと創造した名曲だと思います。
彼の早すぎる25歳の死が、作曲家としてもすぐれた才能を十分に開花させるだけの時間を奪って知ったことは返す返す残念です。
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「WALTZ FOR DEBBY」
収録曲
- マイ・フーリッシュ・ハート
- ワルツ・フォー・デビイ(テイク2)
- デトゥアー・アヘッド(テイク2)
- マイ・ロマンス(テイク1)
- サム・アザー・タイム
- マイルストーンズ
- ワルツ・フォー・デビイ(テイク1)
- デトゥアー・アヘッド(テイク1)
- マイ・ロマンス(テイク2)
- ポーギー(アイ・ラヴズ・ユー、ポーギー)
演奏者
ビル・エヴァンス(ピアノ)、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラム)
録音:1961年6月25日
さて、リバーサイド4部作の最後を飾るのは、数あるエヴァンスの素晴らしい名盤の中で、最もよく知られている作品「WALTZ FOR DEBBY」の登場です。
私にとっても実に思い出深い名盤です。
本格的にジャズにのめりこんでいた60年代後半の学生時代、ジャズ喫茶全盛時代でした。
そこで、様々なジャズを聴いたものです。
当時LPレコードは高価でしたから、まずジャズ喫茶で聴いて気に入ったものを買っていました。
確か、この「WALTZ FOR DEBBY」は私が買った6枚目のLPだと記憶しています。
ビル・エヴァンス・トリオは、1961年当時、ライブハウスの「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブをしばしば行っていました。
1961年6月にも連続ライブが行われ、最終日に当たる6月25日のライブは、リバーサイド・レコードによって特にライブ録音されていました。
黄金期のビル・エヴァンス・トリオののメンバーであったポール・モチアン(ドラムス)が小川隆夫氏のインタービューに答えた中で、当時のバンガードでの話がありましたので紹介します。
バンガードでのギャラは、モチアンによれば当時1人1晩でわずか10ドルだった。
ジャズのみの仕事では生活できず、各種のパーティーでもエヴァンス・トリオは演奏している。
1番多かったのは結婚式での演奏。・・中略・ 彼らが初めて単独でクラブ出演したのは史上名高い「バンガード・セッション」が行われた日。
この日は日曜日とあってクラブとしても一番暇で、だからオーナーのマックス・ゴードンもライブ・レコーディングを許したという。
演奏に耳を傾けているとクラブ・ノイズが結構聴こえる。
あまり真剣に演奏が聴かれていなかった現実を伝えるものだ。
また拍手も非常にまばらであることからいかに人が入っていなかったかの証拠だろう。
実際に、今でこそラファロの入ったエヴァンス・トリオはジャズ史を飾る名トリオですが、当時はクロウト筋には受けていましたが、「バンガード」のライブからもわかるように、一般ジャズファンの間ではまだまだ知名度は低かったのです。
モチアンによればエヴァンス・トリオが評価されるようになったのは、ラファロの死後エヴァンスがバーブにアルバムを吹き込むようになってからと言われています。
すでに当時のニューヨークで30年近くの歴史を誇っていたクラブ「ビレッジバンガード」で6月25日、これら2枚のライブ・アルバム「WALTZ FOR DEBBY」「SUNDAY AT THE VILLAGE VANGUARD」が録音されました。
悲しい結末を目前にした演奏でしたが、「SUNDAY AT THE VILLAGE VANGUARD」にラファロのオリジナル曲が2曲(Gloria’s Step、Jade Visions)収録されており、またこの日のラファロが絶好調といえる演奏を聴かせてくれたのは、せめてもの神が与えてくれた贈り物でした。
ピアノ、ベース、ドラムスの区別がつかなくなるほど一体化したアンサンブルを聴かせてくれてから、わずか10日余り後の1961年7月6日、両親の住むニューヨーク州ジニーヴァへ車で帰る途中、夜道で運転を誤り、立ち木に激突して即死してしまいました。享年25歳とはなんと早すぎる死でしょうか!
リバーサイド・レコードは、この日の演奏のうち、スコットのベース・プレイが目立っているものを『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』という追悼盤として先行発売し、残りのテイクを本作に収録したとされています。
さて、話がそれましたので本題に戻ります。
マイ・フーリッシュ・ハート
まず1曲目の「マイ・フーリッシュ・ハート – My Foolish Heart(Ned Washington, Victor Young)」です。
My Foolish Heart(邦題:愚かなり我が心)は、J・D・サリンジャー原作の短編『コネティカットのひょこひょこおじさん』を映画化した1949年のアメリカ映画の主題歌でした。
恋に不慣れな女性の心は危ういから氣を付ける様に戒めた女心を歌った主題歌はヴィクター・ヤングの代表作であり、メロディの美しさも相まって、ボーカル、インストゥルメンタルの何れでも多数のカバーが存在します。
特にピアニストのビル・エヴァンスが1961年6月にライブ録音したバージョンで知られています。
学生の私にとって高価であったLP 「WALTZ FOR DEBBY」をようやく買いました。
当時中堅カートリッジであった品川無線のグレースF8Lの針先をLP盤にそっと落として、最初に流れてきた「マイ・フーリッシュ・ハート」を聴いたときの鳥肌が立った想い(感動)は今でも鮮明によみがえってきます。
エヴァンスはヴァース(序奏部)を省略していきなり主旋律から入ってきます。
エヴァンスの最初の単音(世の中で最も美しく、最も静かで深いEの音)が鳴り、ほんのわずか遅れてラファロのベースがブンと入ってきますが、この最初の単音を味わっていただきたいと思います。
エヴァンスはできるだけシンプルに単音を生かして演奏しています。
そこにまとわりつく、そしてシンプルにリズムでなくメロディとして奏でられるラファロの弦、格調高いモチアンのブラシワークが紡ぎだすインタープレイは何とも奥深くゆったりとした空間を創り出していると思います。
私はその空間に身をゆだねて彼らの演奏を聴いていると、「ジャズっていいものだなぁ」と至福の時間を過ごせます。
皆さんはいかがでしょうか?
Waltz For Debby
2曲目は「Waltz For Debby」です。
アルバム中唯一のオリジナルの楽曲でエヴァンスの当時2歳の姪のデビーのために書いたと言われる とても愛すべき3拍子の曲です。
エヴァンスが研ぎ澄まされた単音でテーマを弾くと、それを包み込むようにラファロのベースがゆったりとした空間を紡いでサポートします。
アドリブに入ると一転して4拍子になり、快調にドライブするアドリブを展開します。
モチアンのブラシワークも絶品です。
「Waltz For Debby」を演奏している動画(London, March 19, 1965、ベーシスト:チャック・イスラエル、ドラム:ラリー・バンカー)がありますので、その様子をぜひご覧ください。
さて、Waltz For Debbyの動画を見ていただいたので、さらに「モニカ ゼタールン」を紹介したいと思います。
ジャズピアノの巨人ビルエバンスと競演した若かりし、スエーデンの国民的ジャズ歌手の「モニカ ゼタールン」が、晩年TVの特集番組で、当時を懐かしく何とも言えない表情で回想する私の大好きな映像です。
Monica Zetterlund – Some Other Time
Evans生涯の音楽活動中、歌手との競演はほとんどありません。
でも最高の競演がこのコラボです。
「モニカ ゼタールン」というスウェーデンを代表する女性歌手とのコラボ映像。
日本で言えば美空ひばりクラスの大歌手です。
これまで、リバーサイド4部作のそれぞれについて代表曲を紹介しましたが、その他の曲も甲乙つけがたい素晴らしい仕上がりですので、ぜひ全部の曲を味わってください。
さて、ここまでお聴きいただいて心の吟線に響いたでしょうか?
エヴァンスの音楽を聴いて、湧き上がるそれぞれの思いを言葉にすると、「リリシズム」「繊細」「チャーミング」「リリカル」などとなりますが、言葉にするとどこか物足りない思いがします。
私にとってはその素晴らしさを表現する言葉が見つかりません。
そこで、エヴァンスへの私の思いを見事に表現したくだりがありますので、紹介させていただきます。
それは、エヴァンスのピアノについて述べた文章の中で最も説得力に富んだものの一つで、英国の歴史家・評論家ウイルフレッド・メラーズの著した名著「Music in a new found land」の中に収められています。
身が縮まるほど感覚に訴えてくる中音域のコード、温かい間の取り方、包み込まれるような肌触り。
にもかかわらず、この内省的な静けさの中で、奏でられるメロディ・ラインは、最高音域で浮遊し舞い上がり、テナー・レンジで徐々に澄み渡り、最低音部で時折残響する。
鍵盤上で、メロディ・ラインを「語らせる」エヴァンスの技は、極めて弦妙なものであり、そしてその鋭い感性は常に消極性でなく発展性につながっている。
踊りだしたくなるような軽快な節は、流れてばねのある唄となる。
尽きせぬ相違に満ちた交差リズムと退位旋律は、決して疎ましくなく、常にしなやかで、その意味で唄心にあふれている。
さらに”速いナンバーを演奏するときでさえ””リズムから迸る熱情が唄をわき起こす・・・
ジャズ批評No60「ビル・エヴァンスへ捧ぐオマージュ Martin Williasms 著 小山さち子訳」より抜粋させていただきました。
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ここでもう一つ興味深いインタービュー記事がありましたので紹介します。
1985年に素晴らしピアニストの一人であるチックコリアがエヴァンスについて述べた内容です。
一流のピアニストがエヴァンスをどのように見ていたかを垣間見ることができます。
わたしはビル・エヴァンスのプレイを何度か「ヴイレッジ.ヴァンガード」で聴いている。
最初は61年か62年のことだ。
このアルバムがレコーディングされた時期とほぼ同じころだよ。
メンバーは覚えていない。
だって、ビルのプレイを夢中になって聴いていたんだから。
このレコードでもそぅだけれど、わたしはタッチの美しさに一番注目していた。
ハーモニーやひとつひとつの音が異様なほどに美しく響いている。
その秘密が知りたく て、いつも「ヴァンガード」では一番前の席でビルのプレイを聴いていた。
それこそ一音も聴き漏らすまいとね。
できることなら鍵盤も視きたいと考えていたけれど、位置的にそれは無理だった。
そのときに強い印象を覚えたのは、柔らかい夕ッチでフレーズを弾くときでもビルは両手に強い力を込めていたことだ。
力を込めて優しい音を出す。
そのことにびっくりした。うまく表現できないけれど、まるでひとつひとつの音に魂を込めているようだった。
だから響きも美 しくなるんだろう。
自分でもそれを試してみたさ。
やってみればわかるけれど、とても集中力が要求される。
よくあんなことが最初から最後までできるものだと感心したよ。
それでこの作品だ。3人が絶妙なバランスで触発し合っていることに興奮を覚えたし、それがずっと頭から離れなかった。
だからリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成したときに、イン夕ープレイを重視することにした。
ビルのトリオとはスタイルが違っても、相互に触発する点では同じだと思う。
そうすることで、バンドとしての方向性を示すことができる。
気持ちをひとつにして音楽を作り上げていく。
そのことをこのレコードやビルのライヴから学んだ。”
【一口メモ】:チックコリア
1941年6月12日に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるチェルシーにて生まれ、父はジャズ・トランペッターであった。4歳の頃よりピアノを習い始める。
1968年後半からハービー・ハンコックに替わりマイルス・デイヴィスのグループに加入。
1971年に、ベーシストのスタンリー・クラークらとクロス・オーバー/ジャズのバンド、リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return To Forever)を立ち上げ、ECMレコードからアルバムReturn to Foreverを1972年に発表。
カモメのジャケットで有名なこのアルバムは70年代ジャズ・フュージョン最大級のヒット作となる。
チックコリアもエヴァンスから影響を受けています。
興味深いのはエヴァンスはどんな風にピアノを弾くのだろうと思っていたことです。
リアルタイムでそのプレイを聴いて新鮮な驚きを強く感じた様子が感じられます。
まとめ
だいぶ長くなりましたが、私が最も愛するビル・エヴァンスについてはまだまだ書き足りません。
今回はいったんここで記事を終えますが、後日ほかにも素晴らしい作品が数えきれないほどありますので、それらについても記事にしていきます。
そして、エヴァンスといえば、エヴァンスやモンク等のレコードを手掛けるリバーサイドのプロヂューサーであるオリン・キープニューズが寄稿している中でこんなことを述べています。
演奏者、作曲者、そして思想家として、エヴァンスは歴史に残る影響力を発揮しました。
文字通りジャズ・ピアノの流れを修正し、その意味を大きく変えました。
一方、人間としては、彼は最後まで謎のままでした。
聴き手もミュージシャン達も、彼の生の演奏に接した人もレコードだけで彼を知る人も、今もって手がかりや意見は勿論のこと、おりあれば、面白おかしい裏話や、秘められた話題はないかと飢えたように求めています。
文字通りジャズ・ピアノの流れを修正し、その意味を大きく変えました。
一方、人間としては、彼は最後まで謎のままでした。
聴き手もミュージシャン達も、彼の生の演奏に接した人もレコードだけで彼を知る人も、今もって手がかりや意見は勿論のこと、おりあれば、面白おかしい裏話や、秘められた話題はないかと飢えたように求めています。
そうしたことも踏まえ、エヴァンスの面白雑学などについても書きたいと思っています。
今回の執筆に際し下記書籍を参考にしました。
- KAWADE 夢ムック ビル・エヴァンス
- ジャズ批評 No60
- ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100選
- ジャズ批評ブックス 定本 ビルエバンス
- ジャズ批評 No62
- 名演-JazzPiano セレクト・ジャズ・ワークショップ制作グループ
- 面白いほどよくわかるジャズの名演250
- 人生が変わる55のジャズ名盤入門
- ジャズのスタイルブック
- JAZZ100の扉
最後までお読み頂き、誠に有り難うございました(*^-^*)