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橋本左内の名言と啓発録をチェック!NHK大河 西郷どんで風間俊介演じる

橋本左内の人気が急上昇しています。

2018年1月よりスタートしたNHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公である西郷がなんとも聡明な若き橋本左内に出会う場面が第10回「篤姫はどこへ」(3月11日放映)で放映されたのが一つのきっかけと考えます。

そこで、橋本左内に興味を持った方に、彼の人となりを理解するために分かりやすく説明します。

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本左内(はしもと さない)とは

橋本左内は天保5年3月11日(1834年4月19日)に福井藩医師の家に生まれ、15歳の時に志を記した「啓発録」の著者として知られています。

緒方洪庵や杉田成卿に師事し蘭方医学を学び、その後、福井藩主の松平春嶽に側近として登用され、藩医や藩校・明道館学監心得を歴任。

その才覚を認められ,京都や大阪,江戸に遊学し,幕末の志士として活躍しし、開国貿易・殖産興業・軍備強化などを目指して、藩政改革に手腕を振るった人物です。

しかし,その生涯は余りにも短かくはかないものでした。

安政6年(1859年)26歳のときに,大老井伊直弼が仕掛けた安政の大獄で,将軍継嗣問題に介入したことを問われて伝馬町牢屋敷にて斬首されたのです。

彼が斬首へと引き出されるとき、牢名主は涙を拭いながらこう言いました。

「あなたのように、若く、優秀な方が処刑されるとは、惜しいことです。あなたの身代わりに私が死ねたらよいのに」

そう思った者は、この牢名主一人ではなかったことでしょう。

享年26。あまりに短い生涯でした。

今もなお、大きな影響力を及ぼし人気の高いあの吉田松陰が処刑されたのが30歳のときであるから,それよりもさらに若くして亡くなっているわけです。

それにもかかわらず、15歳の時に執筆した「啓発録」は現代語訳も出版されており、今なお学生やビジネスマンの間で人気があるほどです。

福井県内の学校では 今もこれを基にした“独自の教科書“が使われ、くわえて 啓発録の思想に准じた形で、同県には子供たちに「立志式」と呼ばれる “志を立てるための行事“ が敢行として残っています。

「立志式」とは自分がこれからこういうものになりたい、こういうことを考えたいということをプレゼンテーションするというセレモニーのことです。

江戸時代には男の子は15歳の元服で若衆髷(わかしゅまげ:江戸時代、元服前の男子が結った髪形。前髪を残し、中剃りをして、元結で髷を締めて二つ折りにしたもの)から前髪を剃って大人の仲間入りをしたのですが、その15歳を意識して「立志式」行事が行われているのですね。

この「立志式」は橋本左内の「啓発録」という本に基づくものであります。

15歳のとき、左内は「稚心を去る」ということをいいました。今では、20歳になっても30歳になっても稚心は残っているかもしれませんが、こうした気概が極めて大事だろうと思っています。

啓発録

橋本左内が15歳の時に執筆し、今なお影響力を及ぼす「啓発録」について説明していきます。

「啓発録」は五つのテーマ 1 去稚心 2 振氣 3 立志 4 勉学 5 択交友 から構成されています。

それぞれを簡単に説明しますと次のようになります。

①「稚心(ちしん)を去る」

稚心とは、子供じみた心のことを指し、自分の好きな遊びにばかり熱中し、楽なことばかりを追いかけ、勉強や稽古事をおろそかにし、いつまでも父や母に甘えていることを表しており、そうした「稚心」を抱いてはならない。

今では20歳を過ぎてもこの「稚心」にすがり、いつまでも大人になりきれない若人が目につくのは大いに気になります。

②「気を振るう)」

本気で物事を始めたら、決して人に負けまいと思う心。

努力をしないで負けるということは恥だと考えて、常に油断なく頑張る気持ちを持たなければならない。

つねに気を奮い立たせる心がけこそ重要である。

③「志を立つ」

せっかく頑張ってやろうと決心しても、行き先が決まってなければ意味はない。

高い目標を掲げ、いつもそれを眺めて自己を省みて、自分の足らぬところを努力することが大切である。

一端目標を掲げこつこつ努力してゆけば、どんな人でも必ず成長する。

そして、自分が少しずつ前進するのを楽しむことが大事である。

④「学に勉む」

勉学とは、優れた人物の立派な行いを習い、自らもそれを実行し続ける。

こうして真に自分の知識を豊かにし、心を練り鍛え、自己の力を出し尽くして目的を達成するまで続けるということである。

本を読んだりして知識を深めることは、学問の手段に過ぎない。

⑤「交友を択(えら)ぶ」

交友とは、自分が交際する友人のことであり、友人には益友(えきゆう)と損友(そんゆう)とがある。

損友はすぐに心安くなりやすいけれど、自分の為にはならないものだ。

逆に、益友には なかなか気づきにくい。

時には、自分の欠点を率直に指摘し、言われた本人にとってもれば面白くないこともあったりする。

益友とはそういう友人だ。

本当によい友達と交わってこそ、相手のよい所を見習い、自分の欠点をなおすことも出来る。

損友(そんゆう)がいたら、自分の力でその人の良くない面を正しい方向へ導いてやらねばならない。

そしてそのことの実現に向かって歩を進めて行くことが大事である。

 

いかがですか?

現代に生きる私たちの心の中にもスッと入ってきませんか。

この「啓発録」を15歳の若者が執筆したことに改めて驚きます。

名言

出典:相田みつを 名言集 ~心に残る言葉の力~

橋本左内は数々の名言を残しています。

  • 目標に達するまでの道筋を多くしないこと。
  • 男子たるものが憂慮するところは、ただ国家が安泰であるか危機に直面しているかという点のみ。
  • 幼稚な心を取り去らなければならない。
    自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である。
    幼稚な心を持てば何事も上達せず、とても天下の大豪傑などになれない。
    武士道第一歩は、幼稚な心を取り去ることだ。
  • 激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て。
  • 勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である。
  • 学問とは、人として踏み行うべき正しい筋道を修行することであって、技能に習熟するだけのものでは、決してない。
    学とは”ならう”ということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである

NHK大河ドラマ「西郷どん」

出典:YouTube【感動】西郷隆盛に「とても及ばない」と言わしめた男・橋本左内の壮絶な人生【幕末維新】

あらすじ:出典 NHK公式ホームページ

西郷隆盛(小吉、吉之助)は、薩摩(鹿児島)の貧しい下級武士の家に育った。

両親を早くに亡くし、家計を補うため役人の補佐として働くが、困った人を見ると放っておけず、自分の給金も弁当も全部与えてしまう始末。

西郷家はますます貧乏になり、家族はあきれかえるが、西郷は空腹を笑い飛ばす。

そんな愚直な西郷に、カリスマ薩摩藩主・島津斉彬(しまづ・なりあきら)が目を留めた。

「民の幸せこそが国を富ませ強くする」と強く主張する斉彬に、西郷も心酔する。

西郷は、斉彬の密命を担い江戸へ京へと奔走。

薩摩のキーパーソンとなっていく。

生涯の師・斉彬との出会いと別れ。篤姫との淡い恋。仲間との友情と反目。

多感な青年期を経て、三度の結婚、二度の島流し…。

極貧の下級武士にすぎなかった素朴な男は、南国奄美で愛に目覚め、勝 海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、揺るぎなき「革命家」へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げていく。

素顔は、脇は甘く、愚直でうかつ。

彼に出会ったものは皆、西郷が好きになり、愛嬌あふれる男の周りには、いつも“笑いと愛と波乱”が満ちていた。

「すべての民が幸せに暮らしてこそ日本国は強くなる」と信じ、人を愛し、故郷を愛し、国を愛し、民を愛し・・・“見返りを求めない愛”を与え続けた男を、人は親しみを込めて、『西郷どん(セゴドン)』と呼んだ。

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橋本左内との関係

第10回 「篤姫(北川景子)はどこへ」で西郷と橋本左内の出会いが描かれています。

そのあらすじとは(NHK公式ホームページ)より引用すると次の通りです。

斉彬(渡辺謙)の「密偵」となった吉之助(鈴木亮平)はヒー様(松田翔太)の正体を確かめるために磯田屋に行くが、そこで福井から来た謎の蘭方医・橋本左内(風間俊介)と出会う。

そんなとき、篤姫(北川景子)が薩摩藩邸から失踪。吉之助は秘密裏に篤姫を連れ戻すが、斉彬は「篤姫は将軍家に輿入れをする」と言い渡し、教育係の幾島(南野陽子)が現れる。

こうして出会った蘭方医・橋本左内との関係は、西郷隆盛がその死の直前まで大切に持っていた橋本左内の手紙であることから分かるとおり二人は親密だったのです(明治10年(1877年)自刃した西郷隆盛の手文庫の中から、左内の書状が出てきました)

そして西郷は、同年代の優秀な思想家として、左内の名を挙げるほど高く評価していました。

西郷吉之助(きちのすけ):隆盛(たかもり)を 鈴木亮平(すずきりょうへい)が演じています。

一方、橋本左内は風間俊介(かざましゅんすけ)が演じています。

ではこのドラマの原作は誰でしょうか?

原作者:林真理子

林真理子さんと言えば、『最終便に間に合えば』『京都まで』にて直木賞、『白蓮れんれん』にて柴田錬三郎賞、『みんなの秘密』で吉川英治文学賞ほか、話題の著書を多数執筆されている大物作家さんです。

林さんはNHK公式ホームページで次のように話されています。

以前、最後の将軍・徳川慶喜とその妻・美賀子の物語を書いたときに、幕末の複雑さにつくづく苦労しました。

しかし、それゆえに歴史の主役たちにすっかり魅了されてしまったのです。

その中でもいちばん難解でおもしろいのが、西郷さんです。

彼をめぐる女性たち、流された島々を深く描くことによって、今まで誰も書かなかった西郷どんを作り上げているという自負があります。

これに中園ミホさんが、生命を与えてくれるのです。

会った誰もが愛さずにはいられなかった西郷どん。

彼はもう、私たちの前で呼吸をし始めているのです。

 

脚本は誰が書いたのでしょうか?

 

脚本:中園ミホ

ドラマ『ハケンの品格』で放送文化基金賞、『はつ恋』『Doctor-X 外科医・大門未知子』で向田邦子賞、橋田賞受賞を受賞した中園ミホさんです。

中園さんはNHK公式ホームページで次のように話されています。

西郷隆盛という人物は謎に満ちています。決して聖人君子ではない。

太った愚鈍な男でもない。

戦の天才で革命家。一つ確かなのは、男にも女にも大層モテたということ。

子どもも学者も侍も殿様も彼と触れ合い、語り合った者は皆、西郷にほれた。

一体どんな魅力だったのか!?

セゴドンという男の魅力に、女の視点で切り込みます。

林真理子さんの原作「西郷どん!」は愛にあふれています。

命がけで彼を愛した男たち、女たちの視線をまじえ、テレビの前の皆様にも一年間どっぷりセゴドンにほれていただきたいと思っています。

 

まとめ

NHKの大河ドラマ「西郷どん」は初回視聴率が15.4%と大河史上ワースト2位を記録するなど前途多難なスタートでした。

これから、様々な登場人物が激動の時代を面白く、興味深く描いていくモノと期待したいですね。

さて、今回取り上げた橋本左内をいままで知らなかった方々に是非この素晴らしい人間を知っていただければと記事を書きました。

3月11日放送の第10回「篤姫はどこへ」で西郷と橋本左内が出会うシーンが登場することで、より多くの方々が橋本左内って?と興味を持っていただければ幸いかなと考えます。

わずか15歳で橋本左内が自己の座右の銘として書き記した「啓発録」は、現代語訳も出版されており、今なお学生やビジネスマンの間で人気があるほどです。

今もなお、様々な書籍として出版され、後世に与える影響は大きいものがあります。

是非読んで大いなる気づきを得てみてはいかがでしょうか!