8月26日公開のアニメーション映画「君の名は。」が今年度最大のヒットとなって10月25日に至っても上映中です。 公開52日間(8月26日〜10月16日)で興行収入150億円を突破しました。 9月23日時点で今年最速となる100億円を突破、国内アニメ映画興行ランキング上位を独占しているジブリ作品に迫る勢いです。 参考までに興行通信社の調べによると、国内の歴代興行収入ランキングの1位は宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(308億円)。「君の名は。」は、同監督の「崖の上のポニョ」(155億円)に次いでいます。 観客動員数は10月16日時点で観客動員数は約1184万人だそうです。 こうした驚くべきヒットは、作品の良さだけでは生み出せません。そこには周到に練りに練ったプロモーション、マーケッティング戦略があったこそでしょう。 ところで、みなさんはもうご覧になりましたか? 興味を持った方はネットで調べた方もいますよね。 おおむね高評価が多いようですが、なかには期待が大きかっただけに期待外れであったとの意見もあります。 評判の悪い映画に対するコメントは悪い点に重点を置かれて書かれています。 しかしこの作品にはこの点は自分としては期待外れだが、その他のこの点とこの点については大いに評価する、そういった傾向があります。 この映画に対する私の評価を記事として書きますので、この作品について少しでも興味のある方は読んでいただきたいと思います。 ただし、この映画を観ていない方にはネタバレですので、前提知識を持つことなくこの映画を楽しみたいという方は即ページを閉じて下さい。 しかし、ページを閉じる前に一つ申し上げたいことがあります。 それは、周到に練られている素晴らしい作品だと私は思うがゆえに、観る前にあらかじめ監督の意図、至る処に張られている伏線の意味などの情報を仕入れておいて観たほうが、この映画自体を更に楽しむことが出来ると思うからです。 その上で、自分としての思いに身を任せ、思い切り映画に浸りこんで下さい。 ではまず最初にあらすじについて簡単に書きます。 まだ見ていない方にはネタバレにナルかもしれませんので、読み飛ばして下さい。 あらすじ ではあらすじですが・・・。 千年ぶり!なる彗星の来訪を一か月後に控えた日本。 自然豊かな田舎の糸守町に住み、実家の神社の巫女さんを継ぐべく、日々祖母に鍛えられてる女子高校生は憂鬱な毎日を過ごしていた。 町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。 小さく狭い町で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会への憧れを強くするばかり。 「来世は東京のイケメン男子にしてくださ一い!!!」 そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。 見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の街並み。 念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。 一方、東京で基らす男子高校生、瀧も、奇妙な夢を見た。 行ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。 繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。 二人は気付く。 「私/俺たち、入れ替わってる!?」 幾度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。 残されたお互いのメモを通して、時にケン力し、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。 しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。 入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に?がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。 「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く。」 迪り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた……。 何と3年前に引責が落下した被災地で、壊滅していた。 出会うことのない二人の出逢い。 運命の歯車が、いま動き出す 公式サイト http://www.kiminona.com/index.html この映画の見どころ(私にとっての) 1:テーマ 私は予備知識なくこの映画を観た後、新海監督のインタビュー記事、その他様々な情報を目のあたりにして理解できたこの映画のテーマは ”人生には出会うべき相手がいる”です。 このテーマについては新海監督が公式ページで次のように話されています。 ”人は誰かを探し、また人は誰かを待つ。しかし運命に翻弄されて首尾良く出会うことはなかなか無いが、それでも組紐が象徴する運命の赤い糸で結ばれた出会うべき人は必ずいる。やっと出会えたと思う人との別離、そのときは絶望するが、新たな出会いに向けて、再び赤い糸で結ばれた出会いが必ずある。運命とは幾重にも編み込まれた糸に結ばれた壮大な絵巻のようなもの。そこに大きな希望がある!” 物質的・物理的な繋がりではなく、目に見えない心の繋がりが時間も距離も超越する、人の持つ最高の希望と思います。 「君の名は」公式ページによると、興味深いことが記されていました。 新海監督の抱いた本作品の構想モチーフは、『古今和歌集』の小野小町による有名な和歌『夢と知りせば覚めざらましを(=夢と知っていれば目を覚ますことはなかったのに)』から得た物語です。 夢で見た少年と少女が男女入れ替わりに端を発して出会うドラマがそのときから構想されていたということです。 このテーマを描くために、様々な仕掛けが施されています。 ネットで調べてみると、様々な仕掛けからテーマを読み解くアプローチが多く見られます。 謎をひもとくことはワクワクし、楽しめるもので大いに結構だと思います。 一方、テーマを見据えたうえで、各所にちりばめられた仕掛けの意味を理解していくのも一つの楽しみだと考えます。 私自身は、新海監督の意図するインタビューなどを踏まえた上で、再度映画を観てみると、初めて見たときよりは数倍楽しめました。 新海監督の意図するテーマをしっかり踏まえた上で、このテーマを描くためのストーリー設定として各々のポイントについて書いていきます。 1−1 糸守は1200年毎に彗星が落下してくる不思議な土地 宮水一族は女しか生まれない一族で入れ替わりの能力を使って婿を得て巫女の血を絶やさないようにしています。 宮水一族は1200年毎に降り注ぐ彗星から人々を守る為に存在しています。 だから彗星のことを予知出来るように自分と時間軸のズレた人間と入れ替わるようになっています。 この設定をまず踏まえることが大切なポイントだと思います。 作品の根底にあるのは脚本です。 徹底したこだわりは、監督(新海誠)自身が「ここまで徹底的に固める作業をやったのは初めて」というように脱稿までに半年掛けたことからも分かります。 今回、「告白」、「モテキ」、「怒り」などの話題作を多数手がけた川村元気プロデューサーとタッグを組んでいますが、脚本会議では、直し+新しいアイディアが常に出てきてそのラリーとしては大変に高レベルだったと話しています。 そして川村プロデューサーが話していますが、新海監督の”いびつさ”を残そうと表現しています。 私は今回この点にも注目しました。 それは、新海監督がこだわった点を川村プロデューサーは”いびつさ”と表していますが、例えば口噛み酒を監督の表現したい純度として落とさないように組み込んでいるということです。 一口メモ:瀧のあこがれの先輩で後に三葉探しを手伝うという奥寺先輩の設定や、三葉らが米を噛んではき出したものを発酵させる口噛み酒など監督のこだわりを大事に製作。エンドロールへの入り方についても最後まで新海監督と大勢のスタッフの意見が異なったが、川村プロデューサーは新海監督の側についたと述懐されている。 私はその他に”土地神”、”口噛み酒”、”組ひも”、”黄昏時”などが織り込まれていることに注目しました。 1−2土地神 民間信仰における村落の守護神を指し、天災や戦乱から住民を守ったり、土地によっては死後をも司るとされます。 さまざまな国や地域に見られ、その土地土地による土地神信仰の形があります。 今回の糸守の村に、1300年前に落下した隕石によって出来た湖は、長野県の諏訪湖という説が一番近いと言われています。 この隕石の影響を逃れた聖地に土地神のほこらが建っています。 その中に口噛み酒が奉納されており、それを口に含んだ瀧が三葉に入れ替わるという重要なシーンがあります。 つまり土地神で象徴される、あの世とこの世の境目となる聖地の存在なのです。 作中では、ほこらの周りにはちょうど堀のような浅瀬の水をたたえた所がありますが、そこをを渡ってほこらに行きます。 これを越えることで現世と来世の時空を越えるのです。 また、宮水家の使命に関する記述が「君の名は」小説内の1つに四葉の視点での短編物語に次のように書かれています。 四葉は好奇心から自分の口噛み酒を舐め、大昔の宮水神社の巫女へと入れ替わり、別の巫女から神楽舞の指導を受けました。 そしてその指導した巫女が四葉に語っています。 「〜箒(ほうき)星が落ちて何もかもをさらっていった不吉極まるこの土地を、糸守の者たちはなぜ捨てぬ。紐づけられていて引かれるとしか言いようが無いのだ。心がこの土地に根を下ろしておるからだ。ムスビついている。そして人の心がこの土地から離れられぬから、その為に我ら宮水があるのだ。〜」 『人の心がこの土地から離れられぬから、その為に我ら宮水があるのだ。』” これが宮水家の使命という事なのですね。 1−3口噛み酒 いわゆるロでお米を噛んでそれをとろとろにし、ロから出してそのまま発酵させるというお酒です。 祭祀の際に巫女の唾液を介して造られる世界最古の酒とも言われています。 三葉自身のロで作成するということで、作中では三葉(魂)の片割れ、半分として語られていました。 1−4組紐(くみひも) 一口:組紐  組み紐(くみひも)とは、日本伝統の工芸品で、細い絹糸や綿糸を編んで織り上げた紐。「角打ち紐」とリボン状に平たい「平打紐」と、丸い「丸打紐」の3種類に大きく分けられる。 日本には仏教の伝来により、仏具、経典、巻物の付属品の飾り紐として渡来した。奈良時代には細い色糸による組み帯などの男女の礼服として普及、鎌倉時代には武具の一部、安土桃山時代には茶道具の飾り紐として使われた。この時代には、豊臣秀吉が美術工芸を奨励したことから組み紐を職業とする者が現れた。現在でも伊賀などでは伝統的に、組み紐業が盛んである。 江戸時代のはじめには組み紐製造の内規台が作られ、より美しい色彩や模様も考案された。男性中心の武家社会に浸透した「真田紐」や「三分紐」は武具や刀剣の飾り等に盛んに用いられ、武士達の美的センスと伊達男ぶりを示すアイテムのひとつとされた。江戸末期の文化年間には女性の装いの帯締めとしての用途にも使われるようになった。これらの組み紐は熟練の職人による一点ものの手工芸品だったが、1882年ドイツのバーメンから、工業用の組み紐製造機が輸入され、組み紐業が産業として成立するようになった。明治の廃刀令以降、刀剣の飾りとしての需要はなくなったが、帯締めの用途を中心に和服の装身具として定着した。 現代では伝統工芸と西洋文化の融合が図られる事例もあり、アメリカのスポーツブランドナイキはスポーツ・シューズのストリングの紐に伝統的な平打ちの組み紐の「三分紐」を採用した。この話を受けた京都の老舗 組み紐店は、伝統の維持と、前例のない事からこの話を一度は断るが、後に承諾、画期的なシューズは2001年に発売された。 現在は設備のある文化教室で手芸として習うこともできる。 宮水神社で巫女(三葉)の手によって作られる「組紐」(くみひも)が重要な意味を持っています。 それは、本作品のテーマである”人生には出会うべき相手がいる”に込められた運命の赤い糸のつながりを、幾重にも重ね織られた組紐が表していると考えます。 また作中では、制作側の意図として、瀧と三葉の入れ替わりを視覚的にわかりやすくする為の設定があると考えます。 それは次のような設定です。 三葉が入れ替わった瀧くん ⇒ 組紐でつくられたブレスレットをしていない=組紐(3年間電車の中でもらった組紐ブレスレット)なし 瀧くんが入れ替わった三葉 ⇒ 三つ編み無しでポニーテール=組紐で作った髪留めなし 1−5:黄昏時 「黄昏時(たそがれどき)」を表す夕暮れの「カタワレ時」のことです。 作中では、神様が気まぐれを起こすという、カタワレ時(=夕暮れ時)がやってくると、互いの姿が目の前に顕れ、二人のこころとからだが元通りに戻り、二人は初めて対面を果たします。 カタワレ時が終わると、二人はまたお互いが見えなくなってしまい、お互いの名前すら忘れてしまいます。 つまり、夜と夕方の境目であるたそがれどきを表す糸守町の方言「カタワレ時」が時空の境目を象徴してるわけです。 2:作画 作画監督を務めるのは『千と千尋の神隠し』(01年)など数多くのスタジオジブリ作品を手掛けた、アニメーション界のレジェンドと称された、安藤雅司です。 また、『心が叫びたがってるんだ。』(15年)などで新時代を代表するアニメーターとなった田中将賀をキャラクターデザインに迎えるなど、日本最高峰のスタッフがスタジオに集結しました。 新海監督はインタビューで次のように答えています。 ”彼らは入れ替わってお互いの目を通じて、まだ知らない町を見ることになります。三葉は瀧の目を通して、初めて東京を目にする。するとすごく東京がキラキラして見えるわけです。そこは意図的に美しく描いているんですけど、朝の渋滞の車列ですらも朝日を反射して白い雲を映していて、キラキラとしたゆったりした流れのように見せているんです。 だからこそ、こんな輝いている東京という場所にいる男の子ってどんな子だろうと、まだ会ったことのない瀧に少しずつ惹かれていくわけですよね。瀧も同様で、初めて三葉の目を通して来たことのない田舎町を見て、やはり何度か風景に見とれるわけです。” 確かに映画を観ると、都会は都会であるが為の独特な美しさ、田舎町はそこでしか感じられない独特な美しさが圧倒的な作画美で描かれていることに驚愕します。 一瞬にしてその映像美に引き込まれてしまう圧倒的な作画は公開当初から話題になっていました。 また、特に、注目したいのは「空」の表現。全体的に乳白色のフィルターが掛かったような幻想的な「新海マジック」と表現される独特の画風と、光線の美しさは、ラッセンやフェルメールを彷彿とさせます。 シーンの随所に盛り込まれている、状況に応じて様々に表情を変える「空」! この空だけの風景に主人公たちの心象風景を暗喩的に語らせる手法は、新海監督の18番とも言える表現手法です。 是非、背景、特に表情豊かな空の風景を楽しんでみてください。 3:音楽 公式サイトでは音楽について次のように紹介されています。 音楽もスタッフィングと同時期の2014年秋から動き出した。もともと新海の企画書に、曲のイメージとしてビートルズの『レット・イット・ビー』などが上がっていたことからロックを中心に話をしていた中で、新海から好きなロックミュージシャンとして名前が出てきたのが、RADWIMPS。奇しくも川村がボーカル・ギターの野田洋次郎と交流があったことから、一気に話は進んでいった。最初の顔合わせは、2014年10月。RADWIMPSは脚本完成後の段階から参加し、『前前前世』『スパークル』『夢灯籠』『なんでもないや』などボーカル楽曲4曲に加え、22曲の劇伴を制作。新海もまたRADWIMPSの音楽に喚起されて、上がってきた曲合わせでシーンの演出をつけるなど、歌詞含めて音楽を有効に取り入れている。音楽と絵の組み合わせというのも新海作品の妙。本作はその集大成とも言えるものにもなっている。 新海監督はもともとRAD(RADWIMPS)のファンでもあった関係から、映画制作の割と早い時期に一緒にやることを決めたそうです。 リーダーの野田洋次郎から上がってきたラフ曲を聴いて、新海監督は次のように話しています。 ”それがあまり素晴らしくて! 僕はRADのファンでもあったんですけど、RADの曲としても新鮮だったし、映画から切り離しても凄すぎるものになってしまったという気持ちになりました。そして、こんな曲があるのなら、ミュージカルじゃないですけど、ある時間軸音楽がそのシーンを支配するような部分を作らなければという気持ちになっていって。 そこからはもう並行作業でしたね。ビデオコンテを描きながら、彼らの曲が来たらその曲をビデオコンテにはめていって、いやこうじゃないかもしれないと戻したり、「もうちょっとこれはこうなりませんか」と戻したり、それに対して「分かりました」という時もあるし、「それはちょっと音楽的にはできないから、違う手を一緒に見つけましょう」とか、そういうやりとりを一緒に、ひたすら1年半やりました。” そのくらい新海監督のこの映画における曲へのこだわりが、観るものにとって間違いなく感動を倍加させる要素となっています。 まとめ いかがでしょうか? 巧妙に練りに練られた脚本、目を見張る作画、魂が込められたキャラクター描写、そして映画と一体になり感動を倍加させる音楽が一体となって創り上げられた完成度の非常に高い総合芸術作品であることが感じられたでしょうか? まだまだこの先公開されるので、一人で観るもよし、ご家族、恋人と一緒に観るもよし、是非ご覧になられたらいかがですか!